<$BlogRSDUrl$>

Saturday, August 30, 2003

TUCK Soccer!!! 

今朝は「水漏れ問題」で悲鳴を上げる妻の声でたたき起された。洗面所のシンクから汚水が逆流して洗面所の床中に漏れ出しているのである。実は一昨日も同じことが起きたのだが、大家のGeoffとMaintenanceの担当者の努力?の甲斐あって何とか修復したばかりだった。今日はさすがに頭に来て、駆けつけたMaintenance ManagerのRobbieと口論になった。いくら向こうが強面でも僕は一歩も引く気はない。最終的には山男のようにでかく、がさつな彼も急に態度を変え、「悪かった。君たちの気分を害することは本意ではない。Happyに暮らしてもらいたいだけだ。次回からは今日悪かった点は改めるし、来週早々にまた状況を確認しに来るよ」と気味の悪いくらいフレンドリーになって帰って行った。あまり同じことが続くようだと引越しという選択肢も視野に入れなければならないが、これから授業が始まるというこの時期を考えるとあまり現実的ではない。ここアメリカで暮らすということは、勉強以外にも頭の痛い問題がたくさん出てくるものである。

午後5時からはアルゼンチン人のFedericoの呼びかけでTUCK05初のサッカーが開催された。実は昨晩、妻と二人で渡米以来初めて発熱し、Cocktail Partyも欠席、楽しみにしていたサッカー参加も危ぶまれたのだが、薬を飲んで強行出場。中盤やサイドでほぼ思い通りのプレーができたので、周囲からも”Rio! Rio!”と声がかかり、自然とボールも集まって楽しかった。シュートチャンスを何度もふかしてしまって、結局得点は1点しか決められなかったので、次回からの課題はシュートの精度を上げることである。

ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、ロシア、韓国等、様々な国から来た仲間だちとのプレーはExcitingであり、またアメリカ人が意外に?うまいのに驚いた。特に我がチームはたまたまテクニシャンが揃ってしまったので、前後半とも圧勝だった。小柄ながら運動量が豊富でドリブルが得意なPeter、前線で得点に絡むJoe、右サイドでうまくキープしてくれたJeff、堅実なディフェンスとフィードで安定した試合運びを可能にしてくれたFedericoとMiguel、そして完璧なセーブで得点を許さないGKのMatt。「最低1週間に1回はプレーしようぜ」という約束をして7時前に解散となる。TUCKサッカー部は今年の5月に行われたMBAカップで優勝している強豪であるが、是非僕たちの代でもその伝統を引き継いで連覇に貢献したい。

サッカーの前後はAGM (Analysis for General Managers)とLO (Leading Organizations)の予習に取り掛かる。明日までにできるだけReading Assignmentを読み込んで、月曜日のStudy Groupに備えたい。

Career Development 

Orientation期間にはCareer Development関連のSessionも多く組み込まれている。社費派遣という恵まれた立場にある僕にとっては「いくら何でも早すぎない?」というのが率直な感想だが、Fall Termが始まってしまうとなかなか時間が取れないということと、早めに準備しておくにこしたことはないというのが理由だそうだ。

昨今のRecruiting事情は売手市場だった数年前とは全く違うということを複数のスタッフがくどいほど強調しているが、そんな時も彼らは必ずHumorを欠かさない。例えば数年前までは”S=MBA=Job”という数式が成り立ったが、最近は”S=MBA+Hard Work=Job Opportunity”に変わってしまったという話で会場がどっと湧く。他にも「君の右に座ってる人の顔を見ろ」「次に左に座ってる人の顔を見ろ」「その中で2人はConsulting FirmからのInternshipがもらえない」という具合である。

今日はStudy GroupのテーマもResumeやValue Statement(Job Interviewに備えたキャリアの棚卸しと自分探し)のPeer Reviewであった。Peer Reviewなので当然自分もしっかり準備していかないとContributionという観点からHonor Codeに引っ掛かる。昨日まではStudy Groupでもほとんど貝状態だったのだが、今日はなぜか自然に流れに溶け込んで発言できたし、冗談を言う余裕も出てきた。明日また同じようにできる保証はないけど、こうやって一進一退を繰り返しながら少しずつ前進していくしか方法はないだろう。

我がStudy Groupには二人のギタリスト、一人のピアニストがいて、僕はカラオケが大好きなので、音楽は共通の話題の一つである。Group名も”Acoustic Sushi”に決まった(Sushiは意味不明)。今日はMeetingの最中に「そう言えば昨日思い出せなかったMr.Bigの”To be with you”のフレーズ思い出したよ」と言ってサビの部分を歌って聞かせる(素面なのに…)。すると相談役の年配の人(結構偉い人だったらしい)が、「お、それはClosing Statementに使えるな」ということで一同大爆笑。なるほど歌詞の内容はInterviewの締めにふさわしい。これまたすごい偶然である。

TO BE WITH YOU
I’m the one who wants to be with you
Deep inside I hope you feel it, too
Waited on a line of greens and blues
Just to be the next to be with you

今日で全てのOrientationが終了したことになるが、やはり「TUCKに来て良かった」ということを痛感している。時にはTouchy Feely過ぎると感じることもあるが、そこまでするかというくらい学生たちがお互いを知る機会をふんだんに提供してくれる。おかげで学校やHanoverのMain Streetを歩いていると、すれ違う人の多くに”Hey, Rio. How’s it going?”と声をかけられるようになった(関係ないが”Rio”というNicknameはやはり相当覚えやすいらしい)。大規模校や都会の学校ではなかなかこうはいかないだろう。また米国最古のビジネススクールであり、トップスクールとしては独特の文化を持っているTUCKのPrideも至るところで垣間見ることができる。その一員として今この場にいられることが時々不思議に思える。

今日で全てのテキスト、ケースを入手、来週からの時間割、Assignmentも発表された。早速週末はこれに取り掛かる。(8月29日)

Thursday, August 28, 2003

Study Group 

今日はついにFall TermのStudy Groupが発表された。Study Groupとは同じSectionの60名をそれぞれ5~6名の小グループに分けたもので、今学期の全てのGroup Workを一緒に取り組むというかなりDeepな関係である。今日の顔合わせでは”Teamwork”という概念に対する価値観を共有することに主眼が置かれ、1時間半ほど議論をしながら課題を進めていった。

僕のGroupはアメリカ人3名(Adam, Darby, Jerry)、香港人1名(Alice)、日本人1名(僕)の計5名という構成となった。Aliceはアメリカの大学を出ているので、ここでも当然のように僕一人がNon-Nativeである。ただ今回のメンバーは(今のところ?)驚くほど大人しく、沈黙が続くこともしばしば。Outward Boundで同じボートになったAggressiveで陽気な面々とは正反対である。Professor Bellが言うところの「全員が必ず持っているUglyな部分」が今後どう出てくるのか、興味深いところである。それより何より、まずは自分自身が彼らにどう貢献していけるか。暫くはその一点に集中したい。

Orientationも三日目となり、課題の量や時間的拘束も加速度的に増えてきている。(8月27日)

Tuesday, August 26, 2003

Orientation Week 

来週からの本プログラム開始を控え、今週は最初で最後のOrientation Weekである。Orientationと言っても中にはReading AssignmentやStudy Groupが必要なものもあり、Introductionとしてはかなり実践的な内容になっている。初日(月)は講堂でEthicsについての講義から始まった。Enron事件以来、特に米国のビジネススクールがBusiness Ethics低下のScapegoatとされてきたが、なるほど少なくとも形だけはEthics重視の姿勢を鮮明に打ち出しているようである。恐らくこれはTUCKに限ったことではないだろう。

我らがSection2では、二日目の今日(火)、Time ManagementについてのCase Discussionが行われた。FacilitatorはHarvard Business Review等にも頻繁に寄稿しているTUCKの名物教授の一人、Professor Argentiである。Fall Termは実際にこのメンバーと時間を伴にする訳だが、Native Speakerばかりの60名クラスでの議論は想像以上の迫力である。Catch Upするのに尋常ではない集中力を必要とするが、今日はかなり議論の流れを理解できていたように思う。ただ次に問題になるのは、これだけの人数が積極的に発言しようとするので、ほとんど発言の機会が与えられないことである。漸く僕が発言できたのは、授業も終わりに差し掛かった「何か質問や意見はないか?」というコーナーであった。

“I raised my hand millions of times, but I didn’t have any opportunities to speak up. It was stressful. Could you tell me a little bit more about what the usual class interaction would be like?”

この質問に対するArgentiの答えは非常に誠実かつ明快であった。「その問題はビジネススクールで君たちが最初に直面するストレスだ。今日は例外的に自由討論の形式をとったが、私はこういうやり方がいいとは思わないので、次回からは予め私が決めた8~10名を指名する。私は誰がどんな発言をしたか、誰が積極的に参加しようとしていたかは必ず覚えているので心配はいらない。ただ誰がどういうバックグランドや個性を持っているのかを把握するまでは少し時間がかかるので、それは理解してもらいたい。」

冗談を言って笑わせたり、大きな声やジェスチャーで聴衆を惹きつけるタイプの教授ではないが、Argentiの真摯な姿勢には好感を持った。かなりDemandingな授業であるとは聞いているが、何とか食らいついて少しでも多くの示唆を得たいと思う。

午後は”Corporate Citizenship”と絡めて、細かく分けられたグループ毎にUpper ValleyエリアのNPOでボランティア活動に従事する。このあたりはCommunityとのつながりを大切にするTUCKの真骨頂である。僕は、不要になった家具類を引き取り、リサイクルしている”COVER”というNPOで、専ら壁掃除や家具運び、家具解体に取り組む。Outward Bound以来、幸か不幸か「きつい」「汚い」という環境には慣れてしまったので、こういうボランティアもあまり苦にはならない。完全な肉体労働ではあったが、米国ではこうした草の根NPOが無数に存在し、地域社会を支えていることを実感するとともに、日本ではCorporate Citizenshipという概念がまだまだ希薄であり、株主利益、社員のモラル維持、ひいては企業の長期的繁栄のためにも、今後重要性が高まる概念であろうと、汗を流しながらふと考えさせられた。

夜はこちらに来てから初めて"Business Casual"に着替え、TUCKの夕食会に参加する。

Sunday, August 24, 2003

Metamorphosis? 

Thayer HallでTUCKの学生IDを受け取り、Stell Hallの掲示板でFall TermのSectionを確認する(240人が4クラスに分けられる)。僕はSection2となり、Boat5からはKarem, Carolyn, Tom, Adamが一緒になることが判明。日本人は僕を含めて4人という大所帯となった。他にもRock Climbingで目立っていたAndrewやBBQで知り合ったAlex等が揃い、かなり面白いSectionになりそうな気配である。

その後、持参したThinkPadで無線LANのテストをする。これはすんなり開通したのだが、TUCKのイントラネットにどうにもつながらず、その場に居合わせたKen(キャバリア犬の飼い主)に相談したのが、やはり機能しない。もしやと思い、紙に指定されたUser名をNicknameから実名に変えてみると何とすんなりログインできた。ほんとお願いしますよ…

それにしてもOutward Boundから戻って以来、何もかもが新鮮である。食事の内容よりも「皿が綺麗」というだけで感動してしまう。夕方は8面芝のサッカーグランドを誇るSachem Villageで妻とPK合戦をしたり、ShawsやK-Martで散々買い物をしたのだが、全く疲れない。それどころかGallon(3.78リットル)の牛乳、水がやけに軽く感じる。今までだったら「重いー。こんなの持てねー」と文句を言っていたであろうタンス運びも全然苦にならない。これには妻も僕自身もびっくりである。いつまで続くか分からないが、是非この状態をキープしつつ、本プログラムに突入したいものである。(8月24日)

Back to Civilization 

6日間に及ぶOutward Bound Programから帰還した。Programの詳細は例年Confidentialなため記述しないが、このShockingな経験が僕にとって米国生活、MBA生活への本格的なTransitionとして機能してくれたのは間違いない。Outward Boundに行って良かったかと聞かれれば答えは"Definitely"であり、もう一度行きたいかと聞かれれば答えは”Never”である。この一文が僕にとってのOutward Boundをどんな言葉よりも雄弁に語ってくれることと思う。

僕の乗り込んだBoat5は総勢8名、うち僕を除く7名がアメリカ人(一人は英国人)であった。ただでさえ高速でやり取りされる彼らの会話について行けないのに、瞬時のCommunicationと判断力を必要とされる各種Activitiesにおいては僕は完全な足手まといである(牧歌的なSummerでの英語クラスがいかに実践的でなかったかを強烈に思い知らされた)。またBoat5は他のグループよりもいわゆる「やんちゃ系」が多く、「良い人系」が少なかったのも初めはかなりマイナスに作用した。海やOutdoorが苦手な僕にとって、この二重苦はかつて経験したことのないChallengeとなった。とにかくどんな状況に置かれても気持ちだけは絶対負けず常に自分らしく振舞うという目標だけは貫こうと決意した。

ほとんど存在感のなかった僕が初めて目立ったのは「いびき(Snoring)がうるさい」「寝相が悪い」という何ともUnconsciousかつUncontrollableな世界での出来事あった。「Rioのいびきは相当うるさい上に、呼んでもたたいても全然起きやしない」「昨日なんかRioが暴れて何度もHitされたぞ」という僕の武勇伝(?)が毎朝の話題となる。「ごめんごめん。でもそう言われても僕にはどうしようもないんだよ。僕自身は良く寝られてるから快調だけどね。」「Rioの奥さんはよく我慢できてるな」「うちの奥さんは全然気にならないどころか、むしろ心地良いって言ってるよ」「Oh, 俺たちはRioの奥さんじゃないんだぜ」という感じである。

就寝前には同行したInstructorを中心に、お互いの価値観やこのプログラムにおける問題点、Challengeについて話し合うMeetingの時間がもたれた。こういうOfficialな場では僕も発言する機会が持てるのだが、プログラムも半ばに差し掛かった頃、自分は本来こういうOutdoor生活が嫌いで全くの初心者であること、また一人だけ言語で苦労していることを引き合いに出して次のような話をした。”Can you imagine that you feel unsecured physically, at the same time emotionally? It’s my situation. So, this must be my most challenging and difficult experience in my life, definitely.” この言葉は結構みんなの心に届いたようで、「何にもしゃべれないよく分からない奴」から「話をしてみれば結構しっかりしてる奴」くらいには格上げされたように思う。

次の日の夜は恒例の就寝前Meetingの後、テントの中で引き続き”Unofficial”なMeetingで盛り上がる。Mood MakerのKaremが「各々の恋愛事情についてお互いにGuessし合って、最後に本人が本当のことを話すGameをしよう」と言い出した。僕とAdamとScottは既に複数人に知られていたので、この3人がGuesser役となり、一人一人にコメントとその理由を言うことになった。この頃には漸く初期のShock状態から開放され、少しは話に乗れるようになっていたので、「じゃあまずはRioから」と言われたときも躊躇なく、「OK, まず最初に言っておくけど僕の意見はかなりBiasがかかってるし、Stereotypeでもある。ただ僕の意見は恐らく日本人一般の意見にかなり近いと思う。なぜなら僕は君たちのやり取りを見ていると、時々アメリカのテレビ番組、特にコメディを見ているような錯覚に捕らわれるからだ」というところからスタートした。この一言は結構な笑いを誘い、有効なAttention Getterとして機能してくれた。

「じゃあまずはKaremから。君は恐らくあまりに多くのRelationshipを抱えすぎて自分でもHandleできなくなっている。実際今でも結構な問題を抱えているに違いない」「次はTom。君はきっと最近大失恋をして、それ以来一人身で現在に至っている。きっとSingleに違いない」「Matiはねー、うーんかなり難しい。基本的にはfunnyだけど、時々Seriousな君はMysteriousで私生活が全く読めない。敢えて言うなら、昔かなり遊んだけど、もうSeriousな関係にうんざりしていて、今はSingleをEnjoyしてるって感じかな」等、勝手な意見を言いまくる。この日の僕の意見は新鮮だったようで、みんな身を乗り出して話を聞いてくれた。こういうUnofficialな場で彼らとCommunicationが取れたことで気持ち的に更に一歩前進できたように思う。

帰りのBoatでは普段冗談ばかり言っているTomが暇つぶしにみんなにQuizを出し始めた。内容は「部屋の外にスイッチが三つ。部屋の中に電灯が三つある。それぞれが一つずつつながっていて、君は一つスイッチを入れた状態で、一度しか部屋に入ることができない。この一度で三つ全ての接続を言い当てろ」というものであった。僕は話半分で聞いていたのだが、20分以上たってもみんなが答えに至らずうんうんうなっているので、僕も真面目に考えてみようと思い、いくつか前提条件を反復する。少ししてからふとひらめいて、「Tom!もしかして誰かが同じ答えを言ったかもしれないけど、こういうことじゃないかな」と声を上げる。それまで貝のように黙っていた僕が突然発言したのでみんなの視線が一気に集中する。「まず最初に一つスイッチを入れて暫くそのままにしておく。で、その後スイッチを消してもう一つのスイッチを入れる。で、部屋に入れば…」「Rio、一度しか部屋に入れないんだぜ」というScottに対して「いやだから部屋には入らずに一つのスイッチをつけて、また次のスイッチをつけるんだ」というと、InstructorのKatieが”He got it.”と言い、Carolynが”Oh, HEAT!”と叫んだ。一つしかスイッチが入っていなくても、その前についていた電灯に熱が残っているという仮定に基づく単純な類推だった。これにはみんなも納得の表情で、”Rio, なかなか頭がいいな”と誉められてちょっといい気分になる。こんな些細なことで喜ぶ自分も我ながら情けない(笑)。

4日目の夜、我がBoat5では深夜に交代で監視する際に、各々ふざけたPoemを匿名でノートに書いてリレーすることになった。僕は4番目だったのだが、「はて何を書こう」と考え込む。ふとQUEENのBohemian Rhapsodyが浮かんできて、覚えている冒頭の詩を復唱してみると、今僕たちが置かれている状況をもじるのにぴったりであることを発見。翌朝、全てのBoatが集合したMeetingの場でCarolynとKaremが我がグループのくだらない詩をいくつか発表したのだが(他のグループは真面目な詩を朗読していた)、僕の作品が一番受けていたので密かに嬉しかった(笑)。以下、夜中の2時に懐中電灯を片手にBoatの上で書いた僕の作品を転載。

OUTWARD BOUND Rhapsody

Is this the real life?
Is this just fantasy?
Caught in A SMALL BOAT
No escape from reality

Open your eyes
Look up to the sky and sea
I’m just a poor boy
I need no SANITATION

Because I’m easy come, easy go
A little high, a little low
Anyway the wind blows
DOES really matter to me

TACK AGAIN AND AGAIN

きっとこの詩の面白さを真に理解できるのは、Outward Boundに参加した仲間たちだけだろう。極限の状況をみんなでこうやって笑い飛ばして和らげるのは結構大切なことだと思う。

ろくにシャワーも浴びず、髭も伸び放題、擦り傷だらけで、しかも体中を蚊に刺されているというものすごい状態で、土曜日の昼過ぎについにTUCKへ帰還、1週間ぶりに我が家へ戻る。夜は早速TUCKでBBQパーティがあり、三度シャンプーで頭を洗い、髭も剃ってすっかり綺麗になった僕は、妻と一緒に参加する。Outward Boundで知った顔、日本人の同期、どこかで顔見知りになった顔ぶれが揃い、何人かは当日知り合いになった。僕のTUCKでの生活がついに根を下ろし始めた。(8月23日)

Monday, August 18, 2003

PC Pick Up 

System Plus ComputersというTuckと独占提携しているパソコンショップへPCを引き取りに行く。12時過ぎに集合場所であるTUCK Hall前に行ってみると、ぱらぱらと15、6人の仲間たちがシャトルバスを待っていた。日本人は一人もいなかったので、適当に声をかけながら立ち話をする。当然Native Speakerが多いので、Summer Schoolとはやはり勝手が違う。

到着したシャトルが予想外に小さく、全員乗り切れなかったので、Seattleから来たという中国系アメリカ人のRichardに車に乗せてもらい、System Plusへ向かう。同乗したのが上海から来たというGordonとCindy。気がつくとRichardの奥さんも含めて全員中国系。中国語が飛び交う車内で「なんだ全員中国語話すのか」とちょっと面食らう。彼らによるとTUCK05の中国人(中国系アメリカ人は除く)は全5名とのこと。また3年連続して夫婦で中国人が合格しているらしく、Richardが「きっとそういう枠があるんだろう」なんていう冗談を飛ばしていた。

今日分かったことは、「名前と顔を覚える」という作業が結構大変だと言うことである。TUCKは1学年240人という小所帯とは言え、当面は名前問題で苦労しそうな気配である。特に大半を占める白人の名前と顔を見分けるのが難しい。アジア系は比較的覚えやすいのだが、それでも彼らがほとんどEnglish Nameを名乗っているので、これがまたConfusingである。まずはOutward Boundで一緒になる人たちから初めて、少しずつ友達の輪を広げていこう。

さていよいよ明日の早朝から懸案のOutward Boundに出発である。Packingも済ませ、気持ちも徐々にサバイバルモードに入ってきた。どんなSurpriseがあるか分からないけど、目一杯楽しんで来たい。1週間ほど文明から隔離された生活を送るため、Blogもその間お休みです。(8月17日)

Sunday, August 17, 2003

Hanover入り 

昼過ぎにCambridgeを発ってHanoverへ向かう。先日の休みでかなり荷物を運んだつもりだったのだが、やはり2ヶ月の生活ごと移し変えるというのはかなりの重労働である。夕方になってHanoverに到着、TUCK HallでCheck Inを済ませ、必要書類を入手した後、その足でGerrish Hondaへ向かう。月曜日には遂にCR-Vが納車されることになった。

夜はKu氏のお誘いにより、来週日本を出国予定のMi氏を除くTUCK05(及び家族)の全員が終結。これだけの人数が一同に介するとなかなか壮観である。久しぶりに再会したTo氏、初めてお会いしたHi氏を含め、多少の年齢の違いはあれ、同期としていい関係が築けそうで、これからの2年間が本当に楽しみである。

8月だと言うのに夜になるとかなり冷え込んでくるので、Bostonとはやはり気候がちょっと違うようだ。しかも遅い時間になると、虫の鳴き声以外何も聞こえず、空には満点の星空という環境である。いよいよHanoverでの生活が始まったということを実感する一日であった。(8月16日)

Saturday, August 16, 2003

Farewell Luncheon Party 

いよいよ今日でHarvardともお別れである。午前中はAmyクラスの最後の授業であったが、「今日は何をしたい?」というAmyに対して、「とりあえず外に出て芝生に座って話をしようよ」と提案した。Harvardのポリシーによると、本当は教室から出てはいけないそうなのだが、Amyも最終日なので快諾してくれた。結局2時間芝生の上で4名の生徒とAmyで各々のPersonal Historyについて語り合う。Amyは実に勤勉で、人の3倍くらいの速度で生きていた。

11時を過ぎると、「あら、もう私はあなたたちの先生じゃないわ」「やったー、サマー終了だー」とひとしきり騒いだ後、今回のクラスについての本音トークへ移る。僕が授業内容に文句ばっかり言ってAmyを困らせた最初の頃の話(Amyは“私も全くその通りだと思うって本当は言いたかったのよっ”と言っていた)、それまで紳士的だったTatsuoが突然切れてAmyが動揺してしまった序盤のハイライトシーン(実際Amyは動揺していたらしい:笑)、そんな下らない話で盛り上がる。ともかくプログラム自体に問題はあったものの、影でAmyを悪く言う人間は一人もいなかったこと、他のクラスの生徒もAmyクラスの盛り上がりを羨ましいと言っていたこと等、僕たちからのささやかな感謝の気持ちを伝える。

11時半からは場所をLowell Hallに移して、全てのサマースクール参加者が一同に介した各種表彰とFarewell Luncheon Partyが開かれる。僕たちの3クラス合同WorkshopからはEmilioとSolangeが表彰された。残念ながらAmyクラスからは一人も表彰者が出なかった。というよりもEssay Contestに誰も応募していないので出る訳がない。最後まで不真面目なクラスでごめんなさい。遅刻王、宿題出さない王があったら間違いなく僕が二冠王だったのに。

後は立食形式でランチをとりつつ、みんなと最後の会話を楽しむ。途中からMIT組も続々と到着し、最後のお別れをする。と言ってもYifanに「そのうちボストンでReunionをやってくれ」とお願いしておいたので、きっとまた近いうちに会えるだろう。Yifanは「OK、自転車で迎えに行ってやるよ」と最後まで軽口をたたいていた。

最終日というのは本当にいつもあっけないものだけど、他のクラスの友達も含めて、いつかまたどこかで会えることを期待したい。そしてみんながそれぞれHappyな人生を送ることを願っている。

明日はいよいよHanover入り。今日でCharles Riverも見納めである(8月15日)

Freedom Trail 

今日の夕方はボストンでの最後のフリータイムなので、妻と二人でFreedom Trailを歩く。先日訪問したPlymouthが入植から定着までの歴史を雄弁に語ってくれたのに対し、ここFreedom Trailはその後の植民地の発展、英国との衝突、独立戦争にかけての歴史をフォローしている。こうやって時系列に追いかけていくのもなかなか面白い。その後、米国は南北戦争へと突入していくのだが、こうして見ると、米国の歴史は本当に短く、かつ常に戦争と共にあるということがよく分かる。主な観光ポイントを写真とともに記しておきたい。

Boston Tea Party
ここはFreedom Trailには含まれていないのだが、独立戦争の引き金となったボストン茶会事件を再現する船が停泊している。実際に茶箱を海に投げ捨てることができるはずだったのだが”Unforeseen Circumstance”により閉鎖中とのことであった。

Granary Burying Ground
Samuel Adams, John Hancock, Paul Revere等、数々の建国の志士たちや、ボストン虐殺事件の犠牲者等が眠っている。ふと、多くの墓石に「どくろに羽が生えた絵」が描かれていることに気がつく。周囲のアメリカ人に聞いてみるも、「正直よく分からないけど、天国との架け橋の象徴ではないか」というくらいの情報しか得られなかった。未だにちょっと気になる。

Benjamin Franklin’s Statue
独立宣言に署名したBenjamin Franklinの銅像である。でもそれより興味深かったのは、DonkeyとElephantにまつわる話。Donkeyとは「ロバ」「まぬけ」等を意味する言葉なのだが、民主党が共和党の批判を逆手に取り、Donkeyを党の象徴として掲げた経緯が説明されている。一方共和党は同じ漫画家が描いたElephantを象徴としたのだが、ここでは”Opponent”としてDonkeyの前で踏みつけるように仕向けられている。なかなか洒落が効いていて面白い。

Faneuil Hall
自由のゆりかご(Cradle of Liberty)の愛称で親しまれ、英国政府に対する数々の抗議集会が開かれた場所として知られている。正面にはSamuel Adamsの銅像が立っている。

Old North Church
遊歩道には英国軍の襲撃を間一髪のところで救った「真夜中の疾駆」で有名なPaul Revereの騎馬像がある。親切に写真を撮ってくれたアメリカ人から「俺は日本で英語を教えていたことがある」という話を面白く聞いていたのだが、次第に「神は本当に存在する。俺は何人もの友人をキリスト教信者にさせた」という話に発展し、危なくてしょうがないので適当に切り上げる。

Copp’s Hill Burying Ground
Charles Riverが一望できる小高い丘の上にある墓地。本来は川を渡って更にFreedom Trailは続いているのだが、このCopp’s Hillで今回の散策はひとまず終了とする。(8月14日)

Wednesday, August 13, 2003

Shopping Day 

銀行やカーディーラーで所用を済ませた後、ボストンへ戻り、”Outward Bound”に必要な買い物に奔走する。Outward Boundとは6日間に渡るSurvival Tripであり、TUCKの新入生が例年最初に体験するTUCK Communityのイベントである。持ち物として指定されたリストを片手にCity Sportsで右往左往。そんなものまで必要なのかと思うほど事細かに書かれた書類を見るにつけ、「生きて帰れるだろうか…」と不安になってくる。

それから当面の日本食の備蓄として、Porter Squareにある壽屋で、米やカレー、スープの素、調味料などを山ほど買い込む。とりあえずこれで2ヶ月程度はしのげそうだが、おそらく定期的にボストンへ買い出しに来ることになるだろう。

家に戻るとRMVから妻の正式な免許証が届いていた。写真、住所、署名入りで、IDとしても使える立派な免許証である。妻は何度もそれを眺めながらご満悦の様子。妻より1週間ほど早く処理が進んでいるはずの僕の免許証がまだ届かないのだが、ここはアメリカ、そんなことはもう驚くに値しません。(8月13日)

Adelphia & Verizon 

今日、明日と授業を休み、West Lebanonの新居へ荷物を搬入する。午後3時から5時で約束していたケーブルテレビ会社(Adelphia)の工事担当者はきっかり3時にやって来た。アメリカ的にはあり得ない感動的な話である。

我が家は土足厳禁の日本方式を採用しているのだが、「そこで靴を脱いでくれ」と言う僕に対して彼は「政府が指定した安全基準のためメタルの入ったこの靴を脱ぐ訳にはいかない」の一点張り。さてどうするのかと思いきや彼は意外に柔軟で、「壁の差込口とテレビの距離はどのくらいだ?形状はこんな感じの奴だ。よし、じゃあこのケーブルをお前が自分で差せ。」と丁寧に教えてくれる。彼は一歩たりとも家に入ってこない。言われた通りケーブルを差し込んでテレビをつけると、見事全てのチャンネルがクリアーに映っている。そんな訳で今日から我が家にもケーブルテレビが無事開通。快適な生活環境がまた一つ整った。

ちなみにケーブルテレビには日本と同様いくつかのパッケージがあるのだが、我が家は「誰が一番テレビ見ると思ってるの」という妻の一声により54チャンネルのフルパッケージに加入。チャンネルを一周するだけでも相当な時間がかかる。これだけあればいつでも何か面白い番組に当るだろう。果たして僕がどれくらいテレビを見る時間を確保できるかは未知数である…

先月開通したはずの固定電話はなぜか不具合が起きている。携帯から家の番号にかけるといつも「ピーッ」というFAX音になってしまうのである。家にFAXはないので明らかにおかしい。そこでVerizonのサポートデスクに問合せしてみると、「ちょっと待って。試験をしてみるから」と言って暫く待たされる。と、程なく家の電話の呼び出し音が鳴り、受話器を取ると無事に通話できるではないか。「ほら、何も問題ないじゃない」「いや、でもさっきまでは(もごもご)…」不可解な後味を残しつつも、ともかく電話も開通した。

後は未だに機器類が郵送されて来ないADSLである。既に申込後、4週間が過ぎているのだが、先週問い合わせたところ「理由は分からないが君のオーダーはどこかへ消えてしまったので、再度申し込んでくれ」と言われた上に、10人以上電話をたらい回しされ、自分なりに知恵を絞って戦ったのだが2時間を過ぎて根負けし、先伸ばしにしたままになっていた。今日再度申し込み依頼をしたところ、「局内テストをした上で回線に問題がなければ1週間で機器を郵送する」との回答を得た。こちらはまだまだ予断を許さない。West Lebanonエリアをカバーしているブロードバンド事業者はVerizonだけなので「もういいよ、他の会社のを使うから」と言えないところが非常に辛い。やはり競争は重要だなあと消費者の立場から改めて実感する。(8月12日)

Monday, August 11, 2003

閑古鳥 

MIT組がいなくなってしまったのと、TUCKのK氏がセットアップでお休みなのとで、Amyクラスは僕を含めて3名という小所帯に。それぞれ与えられた新聞記事を速読してサマリーを発表、もう一人が更にそのサマリーを繰り返す。僕は「州政府の財政難によって各地の州立大学の学費が急速に高騰しており、教育機会の均等という基本理念が根底から覆される危険がある」という記事を担当した。中には昨年より30%以上も値上げした大学もあり、結構Seriousな問題である。

その後、TVニュースの映像を見て質問に答えるという恒例のリスニングに取り組む。今回のテーマはAT&Tに次ぐ全米第2位の長距離キャリアであったWorldComの栄光の歴史と破綻までの経緯をまとめた内容であり、非常にクリアに理解することができた。というよりも更に周辺情報を付加してプレゼンテーションすることさえ可能だった。毎回通信やインターネットビジネス絡みのテーマだったらさぞかし優等生になれると思うのだが、やはりレアケースだろう。地道に英語力を磨きつつ、他業種やDecision Scienceでも貢献できるように頑張ります。

Sunday, August 10, 2003

Plymouth 

ボストン最後の週末を利用して、妻とPlymouthへ小旅行に出かける。Plymouthは1620年にメイフラワー号に乗った102名の清教徒(Pilgrim Fathers)が初めて入植に成功した「アメリカ発祥の地」として有名である。TOEFLのテストでも繰り返しこの話題が出てくるほど、アメリカにとっては重大な出来事なのである。

Cambridgeからレンタカーを運転して約1時間ほどで到着。まずはダウンタウン(観光客で意外に賑わっている)の中心に無造作に置いてあるPlymouth Rockを覗き込む。これは入植者たちが最初に上陸した際の踏み石である。その後、正面にあるPlymouth National Wax Museumへ。これが期待以上に面白く、英国脱出から入植までの流れがリアルな蝋人形でコンパクトに再現されている。

展示は英国で弾圧を受けつつあったSeparatists(後のPilgrims)が出国を決意する会議から始まり、いくつかの苦難に遭遇しながらもPlymouthへ到着、原住民であるインディアン(ワンパノアグ族)と遭遇するシーンへと続く。ここで英語を駆使する2名のインディアンの仲介により首長(Sachem)と面会し、相互不可侵の平和条約を締結する(この条約は首長が他界するまでの約半世紀に渡って守られることになる)。ワンパノアグ族の献身的な指導、協力のおかげで、入植翌年の秋は大収穫となり、入植者、インディアンが入り混じって、アメリカで最初の”Thanks Giving”が盛大に開催される。飢えと寒さで多くの入植者が死んでいく中で、彼らにとってこの大収穫は本当に神の恵みに思えたことだろう(本来はインディアンの恵みなのだが)。現在でもアメリカ人が自分たちのルーツとして祝い続けているのも頷ける。

しかしその後、毛皮取引という利害関係が生まれたり、酒を振舞いつつ原住民の若い女性を連れ出したりする輩が現れることで、入植者と原住民の間に徐々に不協和音も見え始めてくる。展示は残念ながらこの辺りで終わってしまうのだが、どのような経緯でインディアンが駆逐され、辺境の地に追いやられてしまったのか、という客観的な歴史ももっと知りたいという率直な感想を持った。非常に興味深い展示ではあったのだが、インディアンとの平和的共存という美しい一面だけが強調されていたのは「やはりアメリカ」と思わざるを得ない。

次に車で数分のところにあるPlymouth Plantationへ向かう。ここでは入植時の生活を再現するために、一定の訓練を受けたスタッフが当時のままの姿で生活している。最初に訪れた家では17世紀の衣装を身にまとったお母さんと女の子が庭で立ち話をしている。デジカメで写真を一緒に撮らせてもらって、「ほら見て、良く撮れたよ」と女の子に見せると、お母さんが「あら、すごいわねー。私たちは肖像画をペイントするのだけど、1枚書き上げるのに2、3週間かかるから驚きだわ」と言う。「ん?どこまで本気なんだ?」と一瞬考え込んでしまったが、要するにここはまだ17世紀という設定になっているのだ。隣の敷地では男連中が鉄砲を抱えて軍事訓練をしている。「彼らは何に備えているの?」と聞いてみると、「フランスやスペイン、時にはインディアンとの交戦に備えて、Militiaとして訓練をしているのよ」とのことであった。

Plantation内には当時の原住民である”ワンパノアグ族”の村も再現されている。こちらも17世紀当時のままの姿で生活しているのだが、時代設定は現在ということらしい。藁葺きの家の一つにお邪魔すると、インディアンの女性が一人真ん中に座って観光客と話をしている。僕たちも隣に座って、「数多くの動物の中でビーバーの毛皮が一番温かいのよ」「当時は物々交換で毛皮と食料を交換したりしたの」という話に聞き入る。そう言えば蝋人形館で白人とインディアンがビーバーの毛皮取引しているシーンがあった。ただこの女性はDeerの毛皮を指差して「シカ!シカ!」と日本語を披露してくれたり、見た目以外はいたって普通の現代人である。タブーかなと思いつつも「ここで何年働いてるの?」と聞いてみると、「今年で2年目」と即答された。若干興ざめではあるが、なるほどという雰囲気は醸し出していた。(8月9日)

Thursday, August 07, 2003

Farewell Comment 

明日(金)は午前中がCase Discussion、午後は講堂での講演というスケジュールになっているので、MIT組にとっては今日が事実上のHarvard最終日である。我がAmyクラスは13人中9人がMITへ進学するので、午前中の最後はAmyを囲んでそれぞれが持参した料理をつまみつつ、一人ずつ簡単なFarewell Commentを述べる。

僕は次のような話をした。「最初にPlacement Testを受けてレベルの低いクラスに入れられた時は正直”何で自分が低いクラスなんだ”と思ったんだけど、結果的にこのクラスの一員になれたことはとてつもなく幸運だった。あまりにも楽しいことが多すぎて、あまりにも笑った回数が多すぎて、一つだけ印象に残ったことをあげるのは僕には難しい。しかもこのクラスは一人一人の個性が本当に際立っていた。Yifanだけでなく、あの真面目だったCaseyまでも、自分のパソコンが壊れたと同時に壊れ始めた(笑)。このクラスのみんなは英語という面ではやや劣っていたかもしれないけど、将来リーダーとして成功する潜在能力という意味ではとてつもなくレベルの高い人間が揃っていたと思う。みんな本当にありがとう。」

Amyには「このクラスは全く動物園のようで、君は毎日頭痛が耐えなかっただろうし、君のキャリアの中でも本当に大変な経験だっただろうと僕らは話している。正直なところどうだった?」という質問をしてみた。Amyは実はEmersonを3年で卒業し、その後1年でHarvardの修士を取得するなど、かなりのエリートであるという事実を最近知らされた。いつもきっちりと一線は引く彼女らしく、「正直なコメントはプログラムが終わったときに機会があれば話すわ」とはぐらかされてしまったが、「事ある毎に私に挑戦してくるあなたたちとの日々がChallengingだったのは事実ね」と半ば頭痛の種であったことを認める発言があった(笑)。

午後はIris, Takashiと進めてきたFinal Project(Telefonica del PeruのCase Writing)の最終発表があった。30分という限られた時間の中でCaseをFacilitateするというのはなかなか大変なのだが、3人なりのベストを尽くしたいい発表だったと思う。これでHarvard Summerの主なイベント、アサインメントはほぼ終了したことになる。発表が終わった後は暫し脱力状態となってしまった。Irisやクラスメートたちと記念写真を撮り、明日の飲み会について暫く何人かで話し込む。

その後、ボストンのNewbury Streetにある美容院”Hot Gossip”へ向かう。「10分で10ドル。バリカンで全て終了」という近所の”床屋”で次々と犠牲者が出るのを目の当たりにしていたので、ボストンで唯一の日本の美容院へ駆け込むことにする。「やっぱり美容師はこうでなくっちゃなあ」というさすがの腕前であった。

Wednesday, August 06, 2003

High Context Culture? 

"English for the MBA"のメンバーはほぼ「アジア」と「南米」で構成されている。面白いことに、僕たちアジア人にとっては日本人や韓国人の英語(Caseyの言うところのJapanish, Konglish)は、例え文法や発音が滅茶苦茶でも理解できてしまうのだが、南米人にとっては理解しにくいらしい。逆に僕たちにとっては南米人の訛りや独特のアクセントに戸惑うことが多い。これは単に言葉の問題だけでなく、文化や習慣の違いも包含しているところが興味深い。相互理解という面では、言葉以上にこの「感覚の共有」が大きな位置を占めていると思う。極端な話、日本人や韓国人とは目と目を合わせただけで、意思の疎通が図れてしまう。それともこれは”High Context Culture”の特権なのだろうか。

夜は、既にCambridgeを離れたMaikoの旦那様であるS氏と、僕と妻の3人で食事をする。S氏は一人暮らしを始めてまだ1週間だと言うのに「既に限界」とのこと。おいおい大丈夫かと思いつつ、自分が先週全く同じ境遇だったことを考えると妙に共感を覚える。お互いの夫婦の話、仕事の話から、「2008年問題」までバラエティに富んだ内容で盛り上がる(笑)。来年NHに来る機会があるとのこと。是非また一緒に飲みたいと思える貴重な友人である。(8月5日)

Sunday, August 03, 2003

GUCCI 

Prof. SurujによるCase DiscussionでGucciのケースを扱った。大体いつも最初に「誰か今回のケースを要約してくれ」とか「この会社のHistoryを話してくれ」というところから始まるのだが、「簡潔に要約する」というのが意外に難しく、今まで一度も挙手できずにいたので、今日はこれに挑戦しようと思っていた。例によってSurujの英語はよく聞き取れないのだが、冒頭に何か質問されたので思わず身を乗り出して目を合わせると、「お、Rioやってみるか、よしよし」と教壇から去って行こうとするではないか。どうも雲行きがおかしいと思って隣のJavierに聞いてみると、「Surujの代わりにケースの進行やれって言ってるよ」とのこと。さすがにそこまでの準備はしていなかったので、”I want, but I can’t…”と珍しく尻込み。でもSurujに「どうだRio、やってみないか?」と再度問いかけられると、思わず反射的に”I will try”と立ち上がってしまう。頭は真っ白。一体どうするつもりなんだ、自分…

まずは自分がSummarizeしようと思っていたシナリオに沿って、見よう見まねで問いかけを始めてみる。”Does somebody give me a brief history of Gucci?” ”What was the turning point of this company?” “He mentioned family business. What are the benefits or flaws of family business?” など、クラスメートとのInteractionでケースを進行していく。Facilitatorの役をやってみて気付いたことは、クラス全体のParticipationに気を配りつつ、発言者の発言内容を理解し、かつ次の展開と時間を読んで瞬時に質問を返す(方向修正する)のはなかなか難しいということである。普段は怠けてばかりの僕の小さな脳をフル回転させて何とか食らいついていく。”OK, then who are the stakeholders?” 辺りから漸く少し落ち着いて流れを考えられるようになる。Tatsuoが「Rioは進行に集中しろ」と自主的に板書を買って出てくれた。心強い援軍である。

結局「30分くらいやってくれればいい」というSurujの期待を上回り(下回り?)1時間ほど僕が進行し、ケースの大半が終わってしまった。”It’s almost 10:40. We have to make a conclusion now. But… What should I do?” というところで僕が白旗。「そんなこと知るか」というクラスメートの失笑と拍手でお役ご免となり、Surujに席を譲る。「何だかみんなの時間を無駄にしてしまったようで申し訳ない」と謝ったのだが、本当か嘘か「Surujより全然良かったよ」「一番つまらなかった時間はSurujが発言した時だね」等のコメントをもらった。「人間追い込まれれば何とかなるもんだ」ということを実感する。

ところで今日は大雨が降った。毎日歩いて渡るCharles Riverは特に朝方が美しいのだが、雨のCharles Riverもそれはそれで風情がある。(8月1日)

I sink… 

今うちのクラスで自分たちの発音の悪さを逆手にとった冗談が流行っている。”I think…”と言う度に”Think! Think!”とAmyに直される生徒が未だに多いので、もう開き直ってしまえと言ったところだろうか。E-mailのやり取りも”Sank you. I sink, yes, I sink it’s bely nice”という調子である。ちなみに間に入っている”yes”はTakashiの口癖で、"bely"は当然本来"very"である。

夜はMinnesotaでSummerを終えたばかりのTUCK05のKu氏がボストンに立ち寄ってくれたので、Ki氏宅で歓迎会を開く。直接会うのは初めてだったが噂通りのナイスガイである。これでまた一人仲間が増えた訳だ。それから今日は漸く妻が日本から戻ってきた。この1週間何とか生きながらえたものの、自分の生活能力のなさを痛感する毎日だった。身内ごとながらWelcome backです。(8月2日)

Amy’s Birthday 

明日2日(土)は我がクラスの担任Amyの誕生日であるため、Yifanの提案により午前のクラスが終わった後にSurpriseをすることになった。今日はたまたま僕が1対1のfeedbackを受ける日だったので、Amyの惹きつけ役を指名される。「ちょっと急いでるから今すぐ始めてくれ」とか「この部屋は騒がしいから隣の部屋がいい」とかいろいろ無理を言ってAmyを別室に連れ出す。10分くらいで全員がケーキと花束を持って雪崩れ込んでくる手はずだったのだが、20分を過ぎてもやって来ない。「やばい、そろそろ終わりって言われちゃうよ」と内心ヤキモキしつつ、真顔でseriousな質問をして何とか時間を引き伸ばす。

そうこうしているうちに漸くクラスメートがノックもせずにぞろぞろと入ってくる。その光景に思わず僕もくすくす笑ってしまう。Amyは親身に話をしてくれていたので完全に騙されていたらしく、”Oh, Rio, did you trick me? I can’t believe this”ということで大成功である。みんなでHappy Birthday Songを大声で歌い、ケーキと花束を渡す。Amyは明日で25歳。実は我がクラスの誰よりも若いのだが、彼女の特筆すべき熱意とバイタリティによってじゃじゃ馬のような個性派集団もすっかり「生徒」として収まっている。宿題の多さがいつも僕らの不満の種だが、このSurpriseにかける情熱や今日の盛り上がりを見て「みんなAmyが好きなんだなあ」と実感する。我が落ちこぼれクラスは常に笑いが絶えない愉快な毎日なのだが、それもAmyの人柄があってこそである。

夜はこれまたYifanの招待により、China Townで一番おいしいという中華料理店(Yifan説)でパーティをする。引越し準備で来られなかったJungran以外の全員と家族の数名が参加し、総勢16名。賑やかで楽しい一晩となった。Yifanは突拍子もない発言でいつも議論を混乱させるのだが、その極論がすっかり僕たちの壷にはまってしまって今では一番の人気者である。でも今日はホストとしての責任感からか、やたら甲斐甲斐しく働いていたので冷やかすと、「どうだ、これで俺の株もかなり上がっただろう」とまた偽悪者ぶる。僕とChristineで「確かに上がったけど、元々ものすごーく低いところにいたからまだマイナスだ」と切り返すと、満足そうにニタニタと笑っていた。(8月1日)

This page is powered by Blogger. Isn't yours?