Sunday, August 29, 2004
Money Ball
マネーボールは2年時の選択科目(組織論か戦略論)で教材として指定されていることを知っていたので、そのときに読めばいいだろうと思っていたのだが、父の押し売りで日本語版が送られてきたので、まあ日本語で読んでおいても損はないかという気持ちで読み始める。ところが僕の野球好きも手伝って思いのほか面白く、あっと言う間に読み切ってしまった。
本書はヤンキースの三分の一しか予算がない貧乏球団のオークランド・アスレチックスが、どうして毎年好成績を収めることができるのかという疑問を、ジェネラルマネージャー(ビリー・ビーン)に対する徹底的な現場取材で解き明かしている。これは現在進行形の話であり、実名がばんばん飛び交っているので読む側としてはとても面白いのだが、ここまで暴露して大丈夫なのかと心配になってくる。何せ他チームで活躍中の現役選手に関して「厄介払いしたい」というような表現が出てくるし、他球団との移籍交渉で「さて貧乏人にガラクタを押し付けるとするか」というビリー・ビーンの言葉が引用されていたりするのである。
ビリー・ビーンは野球界にはびこる固定観念に悉く挑戦し、新しい概念を組織に浸透させていく。まず驚かされたのは、野球というスポーツの分野にこれほどまでに徹底したデータ分析が取り入れられていて、球団のフロントにもハーバード大卒といった所謂エリートが多く登用されているという事実である。
データ分析と言うと僕の貧弱な頭にはつい「野村スコープ」や「対左投手成績」などが頭に浮かんでしまうが、ここで言うデータ分析とは、勝率と相関の高いデータを回帰分析を用いて徹底的に洗い出すことを言う。それによると「勝率と最も相関の高いデータは二つ。いずれも攻撃面のデータで出塁率と長打率」と特定されている。バントや盗塁はみすみすアウトを献上する愚策であり、四死球を含む出塁率という数字こそが「いかにアウトにならないか」という選手の能力、チームへの貢献度を示す適切なデータであると言う。また二塁打以上の長打を打つ能力を反映した長打率は、ベースを一つでも多く進める能力の指標であると同時に、相手投手に警戒感を抱かせることで四死球を増やすという副次的効果を持ち、出塁率の次に重視されるべきデータであると言う。
これまで選手を評価する際に主流となっていた多くのデータ(打率、打点等)については「個人の能力を純粋に反映したものではなく、状況に左右されるもの」と喝破している。一方でボール球に手を出さない能力、四死球を選ぶ能力、すなわち選球眼の良さは生まれつきの才能であり、過去のデータからこの能力を持った選手を見極めることができると言う。あれだけボール球に手を出し続けてヒットを量産するイチローは、ビリー・ビーンの分析でも全く規格外だろう。
MLB.COMや各チームのウェブサイトを覗くと、STATS項目の豊富さに驚かされる。それだけ野球の数字オタクが多いということの表れでもあるが、同時にこれだけのデータを収集、提供しているSTATS社(FOXに吸収)、AVMシステムズ等の専門会社があるというのも興味深い。AVMでは「ゴロ、フライ、二塁打といった曖昧な言葉は使わない。これこれの速力と軌道を伴って地点643に落下した打球という風に記録する」ことで、偶然の要素(守備によるファインプレーや緩慢プレー)を極力排除している。データ分析もここまで来ると科学そのものである。
無闇にバットを振らないという特徴をレッドソックスでは「消極的」と評価され、「傷物」としてアスレチックスに拾われたハッテバーグ一塁手や、「見てくれが悪い」という理由でメジャーに定着できなかったブラッドフォード投手のその後の活躍ぶりは痛快である。ハッテバーグを見出したアスレチックスは彼のかなり地味な「初球を振らない率リーグ1位」「見送り率リーグ3位」を高く評価している。「一番嫌いなのが初球を打ってゴロでアウトになることだ。そんなのバカらしい」と言うハッテバーグは今や常勝アスレチックスの四番打者である。
「選手の技能の違いによって生じる得点差は1試合平均1点くらい。ところが、運の違いによって生じる得点差は平均4点くらい。従ってレギュラーシーズンのように長くない短期決戦では何が起こるか分からない」という分析は経験則からも大いに納得できるものである。アテネ五輪で日本代表がオーストラリアに準決勝で敗退という屈辱は容易には受け入れ難いが、冷静に判断すれば運の要素が大きいことは明らかで、選手を責めるのは酷というものだろう。
最後に。ビリー・ビーンの右腕として黒子に徹してきたポール・デポデスタ(ハーバード大学経済学部卒)が今年からドジャースのGMに就任したと言う。そんなにすぐに結果が出るとも思えないが、8月29日現在、ドジャース、アスレチックスともに地区首位を快走している。
本書はヤンキースの三分の一しか予算がない貧乏球団のオークランド・アスレチックスが、どうして毎年好成績を収めることができるのかという疑問を、ジェネラルマネージャー(ビリー・ビーン)に対する徹底的な現場取材で解き明かしている。これは現在進行形の話であり、実名がばんばん飛び交っているので読む側としてはとても面白いのだが、ここまで暴露して大丈夫なのかと心配になってくる。何せ他チームで活躍中の現役選手に関して「厄介払いしたい」というような表現が出てくるし、他球団との移籍交渉で「さて貧乏人にガラクタを押し付けるとするか」というビリー・ビーンの言葉が引用されていたりするのである。
ビリー・ビーンは野球界にはびこる固定観念に悉く挑戦し、新しい概念を組織に浸透させていく。まず驚かされたのは、野球というスポーツの分野にこれほどまでに徹底したデータ分析が取り入れられていて、球団のフロントにもハーバード大卒といった所謂エリートが多く登用されているという事実である。
データ分析と言うと僕の貧弱な頭にはつい「野村スコープ」や「対左投手成績」などが頭に浮かんでしまうが、ここで言うデータ分析とは、勝率と相関の高いデータを回帰分析を用いて徹底的に洗い出すことを言う。それによると「勝率と最も相関の高いデータは二つ。いずれも攻撃面のデータで出塁率と長打率」と特定されている。バントや盗塁はみすみすアウトを献上する愚策であり、四死球を含む出塁率という数字こそが「いかにアウトにならないか」という選手の能力、チームへの貢献度を示す適切なデータであると言う。また二塁打以上の長打を打つ能力を反映した長打率は、ベースを一つでも多く進める能力の指標であると同時に、相手投手に警戒感を抱かせることで四死球を増やすという副次的効果を持ち、出塁率の次に重視されるべきデータであると言う。
これまで選手を評価する際に主流となっていた多くのデータ(打率、打点等)については「個人の能力を純粋に反映したものではなく、状況に左右されるもの」と喝破している。一方でボール球に手を出さない能力、四死球を選ぶ能力、すなわち選球眼の良さは生まれつきの才能であり、過去のデータからこの能力を持った選手を見極めることができると言う。あれだけボール球に手を出し続けてヒットを量産するイチローは、ビリー・ビーンの分析でも全く規格外だろう。
MLB.COMや各チームのウェブサイトを覗くと、STATS項目の豊富さに驚かされる。それだけ野球の数字オタクが多いということの表れでもあるが、同時にこれだけのデータを収集、提供しているSTATS社(FOXに吸収)、AVMシステムズ等の専門会社があるというのも興味深い。AVMでは「ゴロ、フライ、二塁打といった曖昧な言葉は使わない。これこれの速力と軌道を伴って地点643に落下した打球という風に記録する」ことで、偶然の要素(守備によるファインプレーや緩慢プレー)を極力排除している。データ分析もここまで来ると科学そのものである。
無闇にバットを振らないという特徴をレッドソックスでは「消極的」と評価され、「傷物」としてアスレチックスに拾われたハッテバーグ一塁手や、「見てくれが悪い」という理由でメジャーに定着できなかったブラッドフォード投手のその後の活躍ぶりは痛快である。ハッテバーグを見出したアスレチックスは彼のかなり地味な「初球を振らない率リーグ1位」「見送り率リーグ3位」を高く評価している。「一番嫌いなのが初球を打ってゴロでアウトになることだ。そんなのバカらしい」と言うハッテバーグは今や常勝アスレチックスの四番打者である。
「選手の技能の違いによって生じる得点差は1試合平均1点くらい。ところが、運の違いによって生じる得点差は平均4点くらい。従ってレギュラーシーズンのように長くない短期決戦では何が起こるか分からない」という分析は経験則からも大いに納得できるものである。アテネ五輪で日本代表がオーストラリアに準決勝で敗退という屈辱は容易には受け入れ難いが、冷静に判断すれば運の要素が大きいことは明らかで、選手を責めるのは酷というものだろう。
最後に。ビリー・ビーンの右腕として黒子に徹してきたポール・デポデスタ(ハーバード大学経済学部卒)が今年からドジャースのGMに就任したと言う。そんなにすぐに結果が出るとも思えないが、8月29日現在、ドジャース、アスレチックスともに地区首位を快走している。
Friday, August 06, 2004
Hanover (NH)
全60日間に及ぶ全米一周ドライブを終え、遂に遂に我が家に辿り着いた。バーモント州に入った辺りから一面の緑の森と芝、小奇麗な家がぽつりぽつりと並ぶ見慣れたニューイングランドの光景が広がる。いよいよ帰ってきたという安堵感とともに、長かった旅のゴールが目前に迫っていることに一抹の寂しさを覚える。
ニューハンプシャーやバーモントではスピード違反の取締りが非常に厳しい。犯罪がないので暇を持て余した警察官が四六時中パトロールしているのである。TUCKの学生でも誰もが一度や二度は警察のお世話になっている。今回の旅行ではインターステートを80マイル以上で飛ばす毎日だったので「最後の最後でつかまったりしないように、スピードには気をつけないとね」という話をしていた矢先、信じられないことに警察につかまった。1万マイル以上を旅して初めて、家まであと1時間というところだった。
つかまったのは4号線という市道で、制限速度が40マイルであることはしっかり確認していた。ハノーバーでも10マイルオーバーまではOK、それ以上はアウト、というのが定説である。慎重には慎重を期して45マイルで走っていた。すると前方左車線にパトカーがのろのろと走っている。「出た出た。あれ、わざとゆっくり走ってつかまえようとしてるんじゃない?あの後ろについてたら絶対つかまらないよね」などと冗談を言いながらパトカーを追い抜かすと、あっと言う間に後ろについてサイレンを回すパトカー。「うそーっ」という言葉も虚しく、止む無く路肩に停車する。
ほどなくサングラスをかけた強面の警察官が二人、パトカーから降りてこちらに向かって来る。「君は制限速度の40マイルで走っていた我々の横を抜かしていった。免許と登録証を提示しなさい」と言うので渋々渡しつつ「でも45マイルくらいだったと思うけど」と最後の無駄な抵抗を試みる。すると「何マイルだろうが関係ない。お前がどこから来たのか知らないがここはバーモントだ。なぜ制限速度があるか知っているか?住民の命を守るためだ。45マイルだって人を殺してしまうことはある」
警察官にクレームをつけて良いことが起きたという話は聞いたことがない。そこからは何を言われても「おっしゃる通りでございます」と仕方なく平謝り。「書類を書いてくるからその間ここで待っていなさい」と一旦去って行く警察官。「悔やまれる?悔やまれる?」となぜか嬉しそうな妻(注:ハノーバー入り早々にスピード違反で罰金を払っている)を横目に「だって5マイルだよ。ありえないでしょ」と頭を抱える。後から振り返ると、明らかにスピード違反を探して制限速度で走っているパトカーを横から追い越すという行為は、それが何マイルであろうと彼らにとっては「つかまえて下さい」と言っているようなものだったのだろう。それにしても5マイル。運が悪いとしか言いようがない。
暫くするとさっきの強面とは一変して、柔和な表情で戻ってくる警察官。「制限速度で走っていた我々の横を抜かして行ったのは分かってるよね。今度からはそう言うことのないように。行っていいよ。Good Evening」何とお咎めなしである。「そりゃそーだろ」という気持ち半分、「良かったあ」という安堵感で一気に肩の荷が下りる。どこから引っ張り出してきたのか「えーっと、1から10マイルの速度違反は43.20ドルだね」と罰金対照表をご丁寧に読み上げてくれていた妻の努力は幸いなことに無駄に終わった。
最後にそんなハプニングはあったものの、この旅ではこれまで訪れたことのない多くの町に足を踏み入れ、見たことのないものを見、聞いたことのない話を聞いた。この旅のそもそもの目的は、2年間という期限つきで僕が住むことを許されたアメリカという国の現実を様々な角度から眺めることであり、多様性に溢れたこの国をより深く理解することにあった。東部では建国の歴史について、南部では人種差別とアフリカン・アメリカンの公民権運動について多くのことを学んだ。南西部では大自然や国立公園の雄大さを、西海岸では海の幸とエンターテイメントを思い切り楽しんだ。北西部では行けども行けども変わらない風景に困惑しつつ、ネイティブアメリカン(スー族)の歴史について忘れてはいけないものを心に刻んだ。その他にも旅先で訪れた都市や町の思い出をあげればきりがない。
一つはっきりしたことは、ここアメリカでは人種、社会的階級による断絶が絶望的に大きく、数々の迫害の歴史も決して「歴史」などではないということである。アフリカン・アメリカンの権利を主張したキング牧師が暗殺されたのはつい36年前であり、ネイティブ・アメリカンに対する同化政策の象徴であるインディアン学校が廃止されたのはつい35年前である。僕の両親世代が既に社会人として働き始めていた時代に、「夢の国」アメリカではまだそんなことが起こっていたのである。そしてそれは大統領選挙など目に見えるものや、日常生活の端々に隠れた目に見えないものを含めて現在進行中なのである。
日本人である僕にはこのことから反面的に学ぶべきことがある。中国や韓国、朝鮮に対して犯してきた過ちについてである。「教科書を作る会」の重鎮たちが歴史に対して極度に右に偏った考え方を持つ「愛国者」であることにショックを受けたのはつい数年前である。なぜ未来を担うべき子供たちが学ぶ歴史の授業から近代がぽっかり抜け落ちているのか。なぜ教科書で割かれているボリュームが極端に少なく、試験範囲からも除かれているのか。なぜ日本全国ほぼ全ての学校で「時間がなくなったので試験範囲はここまでです」という教育がまかり通っているのか。奈良時代や平安時代は大正、昭和よりも重要なのか。繰り返しになるが「歴史」は世界の国々と新しい関係を築いていく子供たち、若者たちのためにある。偏狭な歴史観から抜け出せない一部の石頭老人によって歴史教育が歪められることは決して許されてはならない。
この僕の憤りは、アフリカン・アメリカンやネイティブ・アメリカンたちが受けた言葉では言い表せないほどの深い傷、悲しみを目の当たりにして更に強くなった。加害者には被害者が受けた残虐な行為を事実として受け止め、その上で新しい関係を築いていく義務があり、その理解なしに被害者の立場を語ることなどできるはずがない。最近の日本を取り巻く関係では「韓流」と呼ばれる韓国のスターたちが日本に続々進出し、日韓の文化交流が盛んになる一方、中国で開催中のサッカーアジア杯では、反日感情を剥き出しにした中国人による心ない行動が連日報道されている。一方は心が躍るようなエキサイティングなニュースであり、一方はどんより暗くなるような残念なニュースである。しかしこれらの現象を表面的に捉えるのではなく、次代を担う日本人の一人一人が歴史認識を深めた上で、偽善ではなく、対等なパートナー、ライバルとして草の根レベルから友情を育むことが必要である。
このBLOGでは何度か「この町は今まで見たどの町とも違っている」という表現をしてきたように思う。それはその時々に感じた僕の偽らざる気持ちであった。しかし意外なことに、旅の最終日に我が家のあるニューハンプシャー州ハノーバーへ戻る道すがら思ったことは、「この町は今まで見たどの町とも違っている」ということだった。緑に溢れた雄大な自然、喧騒から離れてゆったりと流れるのどかな空気、うち捨てられた建物やゴミの山を全く見かけない清潔な通り、正にイングランドの田舎を思わせる白壁や赤レンガの可愛らしい家並み、治安の心配など全くいらない世界でも稀有な町。それが僕のアメリカの故郷ハノーバーである。
この旅でとてもお世話になった文庫「アメリカ50州を読む地図」で、最後にニューハンプシャー州のページをめくってみる。「人種構成は白人98%、黒人0.6%であり、ほとんど白人州と言っていい」「全面積の約80%が森林に覆われ、昔大陸氷河で作られた氷河湖が1,300以上もあり、"太古の世界に似る"と書いた人もいる」「1637年にインディアンに対する初の組織的殺害とも言われるピクオット戦争が起き、跡地に植民地が建設された忌わしい歴史を持つ」「1769年、中西部ハノーバーに開設されたダートマスカレッジはアイビーリーグらしい高水準を誇る他、インディアン学生に教育の機会を確保するため授業料を免除している」「州民の特徴として血を流すことをいとわぬ激しい性格をあげる人もいる。車のナンバープレートに書かれた"自由に生きよ、しからずんば死を"が州のモットーになっている」
これが客観的データや事実が示すニューハンプシャーでもある。全行程60日間に及ぶ今回の全米一周ドライブが、残された1年間のアメリカ生活を有意義なものにしてくれることを信じて、ひとまずこの旅行記を終わりにしたいと思う。
ニューハンプシャーやバーモントではスピード違反の取締りが非常に厳しい。犯罪がないので暇を持て余した警察官が四六時中パトロールしているのである。TUCKの学生でも誰もが一度や二度は警察のお世話になっている。今回の旅行ではインターステートを80マイル以上で飛ばす毎日だったので「最後の最後でつかまったりしないように、スピードには気をつけないとね」という話をしていた矢先、信じられないことに警察につかまった。1万マイル以上を旅して初めて、家まであと1時間というところだった。
つかまったのは4号線という市道で、制限速度が40マイルであることはしっかり確認していた。ハノーバーでも10マイルオーバーまではOK、それ以上はアウト、というのが定説である。慎重には慎重を期して45マイルで走っていた。すると前方左車線にパトカーがのろのろと走っている。「出た出た。あれ、わざとゆっくり走ってつかまえようとしてるんじゃない?あの後ろについてたら絶対つかまらないよね」などと冗談を言いながらパトカーを追い抜かすと、あっと言う間に後ろについてサイレンを回すパトカー。「うそーっ」という言葉も虚しく、止む無く路肩に停車する。
ほどなくサングラスをかけた強面の警察官が二人、パトカーから降りてこちらに向かって来る。「君は制限速度の40マイルで走っていた我々の横を抜かしていった。免許と登録証を提示しなさい」と言うので渋々渡しつつ「でも45マイルくらいだったと思うけど」と最後の無駄な抵抗を試みる。すると「何マイルだろうが関係ない。お前がどこから来たのか知らないがここはバーモントだ。なぜ制限速度があるか知っているか?住民の命を守るためだ。45マイルだって人を殺してしまうことはある」
警察官にクレームをつけて良いことが起きたという話は聞いたことがない。そこからは何を言われても「おっしゃる通りでございます」と仕方なく平謝り。「書類を書いてくるからその間ここで待っていなさい」と一旦去って行く警察官。「悔やまれる?悔やまれる?」となぜか嬉しそうな妻(注:ハノーバー入り早々にスピード違反で罰金を払っている)を横目に「だって5マイルだよ。ありえないでしょ」と頭を抱える。後から振り返ると、明らかにスピード違反を探して制限速度で走っているパトカーを横から追い越すという行為は、それが何マイルであろうと彼らにとっては「つかまえて下さい」と言っているようなものだったのだろう。それにしても5マイル。運が悪いとしか言いようがない。
暫くするとさっきの強面とは一変して、柔和な表情で戻ってくる警察官。「制限速度で走っていた我々の横を抜かして行ったのは分かってるよね。今度からはそう言うことのないように。行っていいよ。Good Evening」何とお咎めなしである。「そりゃそーだろ」という気持ち半分、「良かったあ」という安堵感で一気に肩の荷が下りる。どこから引っ張り出してきたのか「えーっと、1から10マイルの速度違反は43.20ドルだね」と罰金対照表をご丁寧に読み上げてくれていた妻の努力は幸いなことに無駄に終わった。
最後にそんなハプニングはあったものの、この旅ではこれまで訪れたことのない多くの町に足を踏み入れ、見たことのないものを見、聞いたことのない話を聞いた。この旅のそもそもの目的は、2年間という期限つきで僕が住むことを許されたアメリカという国の現実を様々な角度から眺めることであり、多様性に溢れたこの国をより深く理解することにあった。東部では建国の歴史について、南部では人種差別とアフリカン・アメリカンの公民権運動について多くのことを学んだ。南西部では大自然や国立公園の雄大さを、西海岸では海の幸とエンターテイメントを思い切り楽しんだ。北西部では行けども行けども変わらない風景に困惑しつつ、ネイティブアメリカン(スー族)の歴史について忘れてはいけないものを心に刻んだ。その他にも旅先で訪れた都市や町の思い出をあげればきりがない。
一つはっきりしたことは、ここアメリカでは人種、社会的階級による断絶が絶望的に大きく、数々の迫害の歴史も決して「歴史」などではないということである。アフリカン・アメリカンの権利を主張したキング牧師が暗殺されたのはつい36年前であり、ネイティブ・アメリカンに対する同化政策の象徴であるインディアン学校が廃止されたのはつい35年前である。僕の両親世代が既に社会人として働き始めていた時代に、「夢の国」アメリカではまだそんなことが起こっていたのである。そしてそれは大統領選挙など目に見えるものや、日常生活の端々に隠れた目に見えないものを含めて現在進行中なのである。
日本人である僕にはこのことから反面的に学ぶべきことがある。中国や韓国、朝鮮に対して犯してきた過ちについてである。「教科書を作る会」の重鎮たちが歴史に対して極度に右に偏った考え方を持つ「愛国者」であることにショックを受けたのはつい数年前である。なぜ未来を担うべき子供たちが学ぶ歴史の授業から近代がぽっかり抜け落ちているのか。なぜ教科書で割かれているボリュームが極端に少なく、試験範囲からも除かれているのか。なぜ日本全国ほぼ全ての学校で「時間がなくなったので試験範囲はここまでです」という教育がまかり通っているのか。奈良時代や平安時代は大正、昭和よりも重要なのか。繰り返しになるが「歴史」は世界の国々と新しい関係を築いていく子供たち、若者たちのためにある。偏狭な歴史観から抜け出せない一部の石頭老人によって歴史教育が歪められることは決して許されてはならない。
この僕の憤りは、アフリカン・アメリカンやネイティブ・アメリカンたちが受けた言葉では言い表せないほどの深い傷、悲しみを目の当たりにして更に強くなった。加害者には被害者が受けた残虐な行為を事実として受け止め、その上で新しい関係を築いていく義務があり、その理解なしに被害者の立場を語ることなどできるはずがない。最近の日本を取り巻く関係では「韓流」と呼ばれる韓国のスターたちが日本に続々進出し、日韓の文化交流が盛んになる一方、中国で開催中のサッカーアジア杯では、反日感情を剥き出しにした中国人による心ない行動が連日報道されている。一方は心が躍るようなエキサイティングなニュースであり、一方はどんより暗くなるような残念なニュースである。しかしこれらの現象を表面的に捉えるのではなく、次代を担う日本人の一人一人が歴史認識を深めた上で、偽善ではなく、対等なパートナー、ライバルとして草の根レベルから友情を育むことが必要である。
このBLOGでは何度か「この町は今まで見たどの町とも違っている」という表現をしてきたように思う。それはその時々に感じた僕の偽らざる気持ちであった。しかし意外なことに、旅の最終日に我が家のあるニューハンプシャー州ハノーバーへ戻る道すがら思ったことは、「この町は今まで見たどの町とも違っている」ということだった。緑に溢れた雄大な自然、喧騒から離れてゆったりと流れるのどかな空気、うち捨てられた建物やゴミの山を全く見かけない清潔な通り、正にイングランドの田舎を思わせる白壁や赤レンガの可愛らしい家並み、治安の心配など全くいらない世界でも稀有な町。それが僕のアメリカの故郷ハノーバーである。
この旅でとてもお世話になった文庫「アメリカ50州を読む地図」で、最後にニューハンプシャー州のページをめくってみる。「人種構成は白人98%、黒人0.6%であり、ほとんど白人州と言っていい」「全面積の約80%が森林に覆われ、昔大陸氷河で作られた氷河湖が1,300以上もあり、"太古の世界に似る"と書いた人もいる」「1637年にインディアンに対する初の組織的殺害とも言われるピクオット戦争が起き、跡地に植民地が建設された忌わしい歴史を持つ」「1769年、中西部ハノーバーに開設されたダートマスカレッジはアイビーリーグらしい高水準を誇る他、インディアン学生に教育の機会を確保するため授業料を免除している」「州民の特徴として血を流すことをいとわぬ激しい性格をあげる人もいる。車のナンバープレートに書かれた"自由に生きよ、しからずんば死を"が州のモットーになっている」
これが客観的データや事実が示すニューハンプシャーでもある。全行程60日間に及ぶ今回の全米一周ドライブが、残された1年間のアメリカ生活を有意義なものにしてくれることを信じて、ひとまずこの旅行記を終わりにしたいと思う。
Wednesday, August 04, 2004
Rochester (NY)
ニューヨーク州西部の町、ロチェスターで一泊。ロチェスターには昨夏のハーバードサマースクールで親しくなったA氏が通うロチェスター大学がある。数日前にルート上にロチェスターがあることを発見、家を空けているかなとも思ったのだが、メールを送ると数分で快諾の返事が返ってきた。
まずはA氏と奥様の案内でロチェスターの町をドライブ。「初めて来たときはこんな何もないところでやっていけるか不安になった」という二人だが、ハノーバーに比べたら遥かに大きな町である。ゼロックスの本社ビルがロチェスターにあるということも初めて知った。片側4車線の道路やスターバックスまであり、完敗を認めざるを得ない(笑)。
A氏は夏学期にも週一回Corporate Financeの授業を取っている(ロチェスター大学サイモン校はファイナンスが強いことで有名)。それが今日にあたるため、「一緒に出ない?」というお誘いで、なぜか「今度ロチェスターを受験する友人」として授業に参加させてもらう。結果的にこれは全米一周ドライブのフィナーレに相応しい最高の時間となった。一つは他校の授業を聴講することで(良い点、悪い点を含め)TUCKでの経験を相対化できたことである。日常になっていたTUCKでの学生生活を新たな気持ちで始めることができるかもしれない。
しかし一番大きかったのは、緊張感のある授業の雰囲気に接することで「2年目の授業が始まる前にするべきことがたくさんあった」ということを思い出し、旅行で緩んだ自分の夏休みモードを切り替えるきっかけになったことである。昨年2年生の先輩が「授業の内容は驚くほど忘れるのが早い」と言っていたことを思い出した。何となく新学期が始まってしまったという事態だけは避けなければならない。
授業が終わると、A氏宅で奥様の豪華なお手製料理をご馳走になる。バラエティも豊富で感動的なほど美味しい。今回の旅では「アメリカの食文化の乏しさ」を嫌と言うほど実感していた。合計で何度ハンバーガー、ホットドッグ、サンドイッチ類を食べただろうか。海辺のシーフードは唯一旨いのだが、日本料理や中華料理をどうしてこうもまずくアレンジできるのか感心してしまうことも多かった。甘味類も食べられるものは少ない。A氏夫妻の気遣い、おもてなしとともに、日本文化の素晴らしさが身にしみる一晩だった。お二人には本当に感謝です。次回は是非ハノーバーへ遊びに来て下さいね。
まずはA氏と奥様の案内でロチェスターの町をドライブ。「初めて来たときはこんな何もないところでやっていけるか不安になった」という二人だが、ハノーバーに比べたら遥かに大きな町である。ゼロックスの本社ビルがロチェスターにあるということも初めて知った。片側4車線の道路やスターバックスまであり、完敗を認めざるを得ない(笑)。
A氏は夏学期にも週一回Corporate Financeの授業を取っている(ロチェスター大学サイモン校はファイナンスが強いことで有名)。それが今日にあたるため、「一緒に出ない?」というお誘いで、なぜか「今度ロチェスターを受験する友人」として授業に参加させてもらう。結果的にこれは全米一周ドライブのフィナーレに相応しい最高の時間となった。一つは他校の授業を聴講することで(良い点、悪い点を含め)TUCKでの経験を相対化できたことである。日常になっていたTUCKでの学生生活を新たな気持ちで始めることができるかもしれない。
しかし一番大きかったのは、緊張感のある授業の雰囲気に接することで「2年目の授業が始まる前にするべきことがたくさんあった」ということを思い出し、旅行で緩んだ自分の夏休みモードを切り替えるきっかけになったことである。昨年2年生の先輩が「授業の内容は驚くほど忘れるのが早い」と言っていたことを思い出した。何となく新学期が始まってしまったという事態だけは避けなければならない。
授業が終わると、A氏宅で奥様の豪華なお手製料理をご馳走になる。バラエティも豊富で感動的なほど美味しい。今回の旅では「アメリカの食文化の乏しさ」を嫌と言うほど実感していた。合計で何度ハンバーガー、ホットドッグ、サンドイッチ類を食べただろうか。海辺のシーフードは唯一旨いのだが、日本料理や中華料理をどうしてこうもまずくアレンジできるのか感心してしまうことも多かった。甘味類も食べられるものは少ない。A氏夫妻の気遣い、おもてなしとともに、日本文化の素晴らしさが身にしみる一晩だった。お二人には本当に感謝です。次回は是非ハノーバーへ遊びに来て下さいね。
Niagara Falls (Ontario, Canada)
妻が旅行前から楽しみにしていたナイアガラの滝を見るために、この旅で初めて国境を渡りカナダ側へ。僕は10年ほど前に一度見に来たことがあり、「大きいけど単なる滝」という印象が残っていたのだが、改めて見るナイアガラの迫力はその名を広く世界に知られるだけのことはある。船で滝壺まで近づくMaid of the Mist Tourというお決まりのチケットを購入、レインコートを着ても全身びしょ濡れになる人が続出する滝壺に辿り着くと妻はおおはしゃぎである。
「それにしても滝だけでよく世界中から観光客が集まるな」と思っていたのだが、ナイアガラの滝周辺(カナダ側)は、まるで街全体が一大テーマパークといった雰囲気であり、様々な趣向を凝らしたアトラクションがメインストリート(Clifton Hill) の両脇をびっしりと埋めている(なぜかお化け屋敷系が多い)。驚いたのは夜10時を過ぎてもこれらのアトラクションが営業しており、街が人で賑わっていたことだ。渡米以来初めて見る花火もなかなか見応えがあった。滝だけではなく、滝を見に来た観光客を町全体で楽しませ、より多くのお金を落としてもらうためのインフラがしっかり整っている。
もし今回の旅行を反時計回りでナイアガラからスタートしていたら、「ユニバーサルスタジオかよ」と突っ込んで終わるところだったが、過酷なドライブの最終盤だけに、逆に新鮮で純粋に楽しむことができた。
「それにしても滝だけでよく世界中から観光客が集まるな」と思っていたのだが、ナイアガラの滝周辺(カナダ側)は、まるで街全体が一大テーマパークといった雰囲気であり、様々な趣向を凝らしたアトラクションがメインストリート(Clifton Hill) の両脇をびっしりと埋めている(なぜかお化け屋敷系が多い)。驚いたのは夜10時を過ぎてもこれらのアトラクションが営業しており、街が人で賑わっていたことだ。渡米以来初めて見る花火もなかなか見応えがあった。滝だけではなく、滝を見に来た観光客を町全体で楽しませ、より多くのお金を落としてもらうためのインフラがしっかり整っている。
もし今回の旅行を反時計回りでナイアガラからスタートしていたら、「ユニバーサルスタジオかよ」と突っ込んで終わるところだったが、過酷なドライブの最終盤だけに、逆に新鮮で純粋に楽しむことができた。
Cleveland (OH)
オハイオ州のクリーブランドへ到着。今回の全米ドライブ旅行で33番目の州に足を踏み入れたことになる。後は出発直後に通ったニューヨーク州(横長)とバーモント州(縦長)を経由するだけなので、オハイオ州が事実上最後の「見知らぬ土地」となる。
ガイドによると、クリーブランドはかつて重工業の中心都市として栄えた町であるが、やはり産業構造の転換に伴って一時衰退、廃墟の町とも呼ばれた。しかしその後、都市復興計画が順調に進み、今では"Come Back City"として全米の注目を集めているそうである。
実際にTower Cityを中心とするダウンタウンエリア、若者で賑わうと言われるFlatsエリアを散策してみると、確かに小奇麗な店もあることはあるのだが、これといった特徴がある訳でもなく、中途半端な感じな否めない。中堅都市のダウンタウンは大体似たようなものであり、よっぽど興味を惹くものがある場合を除いて、わざわざ訪れるほどの価値はないように思える。
ガイドによると、クリーブランドはかつて重工業の中心都市として栄えた町であるが、やはり産業構造の転換に伴って一時衰退、廃墟の町とも呼ばれた。しかしその後、都市復興計画が順調に進み、今では"Come Back City"として全米の注目を集めているそうである。
実際にTower Cityを中心とするダウンタウンエリア、若者で賑わうと言われるFlatsエリアを散策してみると、確かに小奇麗な店もあることはあるのだが、これといった特徴がある訳でもなく、中途半端な感じな否めない。中堅都市のダウンタウンは大体似たようなものであり、よっぽど興味を惹くものがある場合を除いて、わざわざ訪れるほどの価値はないように思える。